お客様に鍛えられ、同業者からも一目置かれる存在に成長
入社して3ヶ月くらいは工場での研修を受けました。私どもは学生にはあまり知られていない業種ですので、自分達が販売する製品はどういったものなのかを理解するために、実際に工場で生産に携わるなど実務を学びます。勿論この研修では業務を学ぶことも重要ですが、工場の人たちと良くコミュニケーションをとることも大切でした。そのことは緊急時にもスームズに対応していただけるなど生かされたと思います。
営業では得意先に訪問して、新しいテーマをいただいたり、工場とお客様の間に立って製品納期の調整などもしていました。受け持った会社は、最初の頃は2、3社、最後の頃には4、5社になったと思います。取扱量としては、当時の東京全体で受注する量の4分の1くらいを私が担当していました。
お客様のなかには厳しい方もいらっしゃったので必死でした。新人の頃は自分より知識のあるお客様に、見当はずれな話をしてしまうこともあり、その度に叱咤激励されたものでした。でも、プラスチックに関する専門知識は実際の業務の中で自然と覚えていきました。一言でプラスチックと言っても、今日本には100種類以上あり、それぞれが特性の違うものだということに気づいたり学んだりするのは楽しかったですね。
また、その頃はちょうどバブル経済の真っ只中で非常に忙しい時代でもありましたから、 「朝四時に会社に来い」とお客様から言われたりなんてこともありました。でも、そういったことも含めお客様のニーズに一つ一つ応えて行くことによって、次第にお客様から認められ、最終的にお客様から競合他社ではなく、「この仕事は田代だ」と言ってもらえるようになったときは本当に嬉しかったですね。
この10年間は毎年のように後輩が入ってきました。それによって、身が引き締まったり、日ごろからコミュニケーションをとったり、また困っているときには助けなければという思いがありましたので、そういった意味では、後輩に成長させてもらったとも言えますね。
シンガポールでの工場移転の逆境を自信へと変える
入社して7~8年経ったころから漠然と違う部署で働いてみたいと思うようになりました。ちょうどそんな時にシンガポール勤務を打診され、二つ返事でOKしました。当時、東南アジアには4つ拠点があり、非常に海外が伸びてる時期でもありましたし、私の同期が先に赴任していたので、いつかは海外に行きたいという思いもありました。
でも、問題もありました。大学を卒業して10年経っていましたので、単語も忘れて、英語は全く話せませんでした(笑)。
赴任前にも勉強はしていたのですが、実際現地で使われている英語は最初は全く聞き取れず、とりあえず紙に書いてもらったりして、コミュニケーションをとっていました。でも、不思議なもので3ヶ月くらいたったある日、突然目の前が開けて、急に聞き取れるようになり、それ以降はそんなに苦労しないようになりました。
シンガポールでも営業自体は基本的には日本と変わりません。ただ、日本では受託加工生産の営業をしておりましたので、当時海外で主流の自社ブランド販売はほとんど経験がなかったことと、日本との商習慣の違いには戸惑いも多くありました。それに、営業と言っても、購買、業務それに物流も管轄しなければなりませんでしたので、仕事の範囲は広かったです。最初は苦労はしましたが、今振り返ってみればいい経験をできたと思います。
1997から1998年ごろだったと思いますが、国の区画整備の一環で2000年に工場の立ち退きをせざるを得なくなり、移転か閉鎖かのどちらかを選択しなければならなくなりました。ちょうどその時は1997年のタイバーツ急落の影響から東南アジア全体の経済状況が一気に悪くなった時期と重なり、閉鎖への流れが強かったのですが、将来の販売計画などの資料を作成し、上司の本社への説明の甲斐もあり、最終的には移転することが決まりました。ただ、移転するにはどうしても3週間は機械を止めなければならず、この期間の製品供給をどうするかが大きな問題となりました。そのため、1年半ほど前からお客様との何十回もの打ち合せを行ない、東南アジア他工場の協力のもと相互生産ルートの確立により、無事お客様のもとへ製品を切らさずに供給できたことは自信にもなりましたし、非常に満足感もありました。この時の相互生産ルートをもとに現在では更に活発に行われ、東南アジアにおける今日の日本ピグメントの強みにもなっています。
様々な角度から会社を見つめ直して変わった考え方
シンガポールから日本に帰るにあたって、特に部署にこだわりはありませんでしたが、人事制度の立ち上げを控えていた総務部に配属されることになりました。
総務部在籍中の7年間のうち、最初の4年間は人事部門、その後3年間は人事と総務部門の課長を兼任をしていました。
当時の当社は他の多くの企業と同様に年功序列型の人事制度であったため、目標管理制度、人事評価制度、人事育成制度などを取り入れた人事制度の改革を行いました。
それまで営業畑だけしか経験しておりませんでしたので、人事制度に関する知識はなく、セミナーへの参加やコンサルティング会社との共同で新しい制度の導入に向けて進めて参りました。
この間、人事関連の色々な知識や制度導入にあたって社内のさまざまな部署・立場の方々と話を出来た事は、その後の自分にとりまして、大きな経験と財産になったと思います。
また、新卒採用に関しては就職情報サイトが活用されてくるようになって来た時期でもあり、私どもの分かりにくい事業内容をサイトを通して学生さんたちに如何に分かりやすく伝えるかという点では苦労しました。
また、会社説明会ではそれまでの紙の資料からプロジェクターを使用したビジュアル化や当社の製品を持って行くなど工夫し、社員として入社してくれた時は本当に嬉しかったですね。
その後、総務部門を兼任するようになると、株主総会を始めとする株式関係、決算業務、会社法や内部統制など専門性の高い仕事をするようになり、仕事は大変でしたけれど充実した期間を過ごすことができました。
このように営業時代とは違い、社員や株主のみなさま、学生さんを通して外側から会社を見ることができましたし、一方では管理部門という内側から会社を見ることが出来た事は自分の知識や経験の幅を広げることができました。
また、このように様々な立場に立って物事を考えるようになったことで、随分私の考え方も変わったと思います。
チャレンジ精神をもって新たな目標に向かう
2008年4月からはマレーシア現地法人に社長として赴任いたしました。シャーアラムとペナンというところの2つの工場を管理監督するのが、私に与えられた仕事です。
海外ゆえの様々なリスクがつきまとう中、責任者という立場でこれまでとは違う判断力が必要になりますが、この23年間の営業経験やシンガポールでの海外経験、そして総務部での経験を生かし、新たな気持ちで頑張りたいと思っております。
そして、きちんと会社の期待に応えるということが自分の一番の目標でもあり、使命でもあると感じております。