実務研修の中で仕事の基礎を学ぶ
大阪工場で品質管理課と調色課に所属し一年半程実務研修を受けました。
品質管理課では製品の検査をする仕事の実習を受け、品質管理の知識や検査の方法、プラスチックの種類を学び、調色課ではプラスチックを着色するための配色の仕方や使用する着色剤について学びました。
品質管理課に配属された直後に先輩が他部署に異動されたため、同じ課の女性に指示を出すように上司から指示されましたが、なかなか自分が思う様に業務が進まないことがあり、上司や先輩から指導や助言を頂きながら、無事に研修期間を終える事が出来ました。
品質管理課の業務で、検査データを手書きでグラフにプロットする仕事がありましたが、当時はコンピューターがまだ普及しておらず、非常に時間がかかっていました。そのため、コンピューターにデータを入れてグラフを作ろうと思い、プログラムの本を購入して勉強をするほか、当時、同じフロアの他部署の上司がプログラムの作成に非常に詳しく、分からない所を教えてもらいながらプログラムを完成することができました。このプログラムでグラフを書くことが出来たときは大変嬉しく、チャレンジすることの喜びを体験しました。
難しい人間関係の中でも、自らの努力をもって活路を見出す
大阪工場の研修を終えて、名古屋ピグメント 製造課に配属になりました。
配属したその日から、製造課で実作業に従事しましたが、一緒に働く同僚と最初はコミュニケーションがうまく取れないまま、製造の仕事に日々追われる毎日でした。大阪工場では小型の機械は操作したことがありましたが、製造現場の大型の機械を操作する事が初めてで、同僚のみんなに迷惑ばかりかけていました。
なかなか一人前の社会人として認められない毎日でしたが、製造に使用する計量機の性能を引き出すことが出来ない事がわかり、その計量機について説明書を読んだり、メーカーの人に教えてもらいながら、計量機の使用方法を理解しました。
製造でトラブルが発生した時に、同僚と一緒に夜遅くまで対応して計量機のトラブルを解消した時に、仲間として認めてくれて大変嬉しかったことを記憶しています。
この時期に人間関係の大切さ、コンパウンドの仕事の面白さ、また社会人としての基本を学びました。苦労することも多くあり、会社を辞めようかなと考えた事もありましたが、色々な事を教えてくれた名古屋ピグメントの仲間は、自分にはかけがえのない存在です。
自主的な仕事は充実感へ結びつく
製造を経験後、生産管理課に配属され製品の検査を担当しました。大阪工場で学んだ事を名古屋ピグメントで実施しましたが、工場が変わると扱う製品も異なるために、はじめはかなり戸惑いましたが、すぐに慣れました。
またこの時期に工場の増設があり、機械のレイアウトを決める手伝いなどの貴重な経験をさせてもらいました。検査業務に加えて製造のサポートをする事もでき、充実していまいた。
しばらくして、大阪工場でプログラミングを教えていただいた先輩が上司として名古屋ピグメントに転勤され、生産性改善の為に設備(ロボット)の新規導入などがあり、私としては大変興味のある設備の導入を手伝うことができました。製品タンクも新規で設置されたために、製品の入っている量をセンサーで調べてコンピューターグラフィックで表示するプログラムを作成したいと申し出て許可をもらい、作成することができました。この時は毎日がワクワクして大変充実していたことを覚えています。
お客様からの信頼を獲得し、より高い技術を求める
30歳の頃、同じ生産管理課ですが試作担当になりました。樹脂メーカーから依頼された新規製品のサンプル作成のために、使用する機械や加工する条件を考え実際にサンプルを作成する仕事です。
直接お客様と話をする機会も増えて、樹脂メーカーの方を通して自動車メーカーの開発の方と話しながら新規製品の作成をしたこともありました。
お客様からは非常に難しい要求がありましたが、今まで経験した製造、検査、設備の知識を総合してニーズに合うように検討を進めました。次第にお客様から信頼される様になり、自動車メーカーの技術に携わっている方から、材料に関する事や新しい製品開発のアプローチの方法など話を聞く機会を頂き、貴重な体験ができたことが印象に残っています。
念願の海外赴任先で、異文化の壁を超えたチーム作りを実現
以前から希望していた海外赴任の念願が叶い、アメリカインディアナ工場に家族と共に転勤し、製造を任されて約6年間勤務しました。私が赴任したのは工場設立後3年目で過去に経験した設備の増設を行う時期と重なりました。過去の知見を生かして新規設備の導入を行いましたが、英語の苦手な私としては日本とは勝手が違うため最初は片言の英語でやり取りしながら、生産の指示や新規設備の説明などに取り組みました。
生産トラブルがあった際には、夜中に何回も電話があり深夜に工場に行く事もありましたが、赴任して徐々にアメリカ人スタッフが私の英語に慣れてきて意思の疎通が出来るようになり、コミュニケーションが取れるようになりました。
不適合品が多く、アメリカ人スタッフと改善の為に色々議論しました。文化の違いもあり、日本の常識はなかなか受け入れてもらえないことが多くありました。
幸い家族が一緒に赴任していたので、アメリカ人スタッフと家族ぐるみで食事やゴルフをする機会を持つことができ、徐々に仕事以外でのコミュニケーションもとることで、信頼を得られるようになってきました。
やりがいを感じたのは、一丸となってゴールに向かっていく「チーム作り」をしていき、チームをまとめ上げられたことです。目標を達成したらみんなでピザパーティーを開いてお祝いをするなどして士気を高め、目標を達成することの喜びを工場スタッフに伝えることが出来たことです。
そこに至るまでは、アメリカ人スタッフとの意思疎通が出来ないことによるトラブルなど、会社に迷惑をかけたことがあります。たとえば、こんなエピソードです。製造ラインに原料を投入するのに、当時のインディアナの工場では専用の貨車で原料の移動をするのですが、その原料移動の依頼をするのにアメリカ人スタッフに指示がうまく伝わらず、結果的に原料の移動ができずに生産が止まってしまいました。そこで、貨車を運んでくる列車を止めて、その機関士に工場内の貨車移動を依頼するなど、日本では考えられないことも現地で経験しました。
※本文中のアメリカインディアナ工場は2002年に清算しております。
アメリカでの経験を生かしながら新たなものづくりを見据える 再び名古屋ピグメントに戻り、生産技術課の責任者になりました。フィルムや医療品に使われる製品について開発の手伝いをすることができました。仕事においては、アメリカで経験したことの応用で、計画を立て実施して、チェックというロジック的なものの進め方と製造と一緒に「ものづくり」を実践してきました。アメリカでの経験から広い視野でプラスチックの加工業界の現状と「日本がやるべきものづくり」がなにであるかを、生産技術での試作サンプル作成を通して考える大切な時期でもありました。
チームの総力を結集し誕生した自信作
現在の埼玉川本工場では、生産技術課に課長として新しい部下と一緒に、より先端の材料の開発に取り組みました。自動車部品の材料で、チームで一丸となって試作サンプルを作り上げたことは印象的な事でした。過去にも同様製品のトライを実施したことがありましたが、よい結果が得られず、再びお客様からチャンスを頂きチャレンジすることになりました。過去、トライした内容をチームのメンバーと再確認しながら実施する方法を吟味し、最良の方法をチームメンバーと検討しながら進めました。
夜遅くまで試験で使用する部品を調達したりなど準備に追われましたが、最終的にお客様が満足できる製品を作り上げることができ、自信作ができあがりました。
目標をチームで達成できた事が私としては最も嬉しく、今回の技術が海外工場でも展開されることから、今後の展開が非常に楽しみです。埼玉川本工場のみならず、各工場で私たちが作り上げた技術を展開していくこととなります。